父島1日目 戦跡とウミガメの産卵

2022年8月13日土曜日

2022.07小笠原諸島

t f B! P L


 (サムネ用・夜明山に遺された砲台)



5時に一度起床。もし起きられたら日の出を見たかったのだが、4時半ごろだったことを思い出し、二度寝。結局、6時ごろに起床した。マットレスは薄く、枕も硬かったが眠れないということは全くなかった。が、全身がうっすら痛い。次回があるとしたら、2等はちょっときついかもしれない。

外に出ると甲板が水浸しだった。ちょうど雨雲の下を通っているようで、元々の風もあるのか、船の速力も相まっているのか、結構な風雨だった。どれくらい風が強いかと言えば、風上に壁があれば雨に当たらないし、風下に向かって走ればちょっと止まれないくらいには強かった。

雨が降っているとは言え、視界は360度開けており、どこを見ても海と空しかないので、当然曇り空も見えれば、遠くには晴れ間も見えるし、虹さえも見ることができた。



朝食。4階レストランChichijimaでも良かったのだが、あちらは普通の朝食セットを提供しているようだったので、7階展望デッキHahajimaへ。サンドイッチが4種類並べてあったので、シーザーサラダサンドに。野菜がしっかり入っており、味もガツンとして旨い。サンドイッチも含め800円の朝食セットには選べるスープとゆで卵もついてくる。コーンスープの気分ではなかったのでミネストローネに。海を眺めながらの優雅な朝食だ。



朝食を取っていると、にわかに晴れてきたのでデッキへ。もうすっかり晴れてきた。気持ちも多少は入っていると思うが、空と海の青さが非常に深くて実に美しい。ほぼ外洋だが揺れも大したことはなく、気分が良い。真下を眺めていると、船があげる波しぶきと一緒にキラキラしたものが飛んでいく。トビウオだ。写真には収められなかったが、銀色に輝いた塊がいくつもまとまって飛んでいくので、1分も眺めていれば必ず見つけることができる。船に驚いて一気に10匹くらいが真横に向かって10mくらい飛んでいき、陸地が近づけばそれらを狙って飛んでくるカツオドリなんかも見ることができる。

もう到着まで一時間を切った。下船は部屋の等級ごとに意外と早く促されるので、荷造りは早々にしておいたほうがいい。

そうしているうちに、島が見えてきた。「あっ、父島が見えてきた!」と、自分も、この写真に写っているキッズたちもはしゃいでいたが、どうも最初に見えてくるのは父島の北側にある弟島や兄島らしく、島が近づき電波が入ってGoogleMapで確認したところで自分はようやく気づいた。近くにいた島民や小笠原諸島のプロたちに「まだまだ青いな・・・」などと思われていたかと思うと恥ずかしい。

いよいよ入港である。父島の大村港は天然の良港で、波の影響を受けにくい形をしている。船が進んでいくときも、明らかに湾の中に入っていくのがわかって面白い。

港には大勢の人が。一般的に言えば空港でよく見る光景と同じで、旅行者を迎え入れる各業者が待ち構えている。青ヶ島や波照間も同様だったので、小~中規模の島はだいたいそうだと思うが、ほとんどは宿のスタッフが、あるいはレンタカー業者などが迎えに来てくれることになっている。今回は宿のご主人が迎えに来てくれたが、昼からすぐツアーに参加する旨を伝えてあるので、とりあえず大きい荷物だけ宿に持っていってくれるとのことだった。実はこの時点ですっかりその手筈を忘れており、道端で大慌てで荷物の入れ替えと着替えをした。船でやっておけば良かったのに。。。

というわけで軽い荷物だけになったので、ツアーの集合時間までの1時間、徒歩で店を探して昼食を取ることにする。大村港の目の前に広がる大村は父島最大の集落で、観光客向けの飲食店や土産屋、スーパーや生協などが立ち並んでいる、一番賑やかなエリアだ。さすが東京都なだけあってか、メインストリートは整然と整備されている。街灯や歩道、点字ブロックにいたるまで、23区内と遜色ない。
メインストリートの一本裏手もこのとおりである。建物はレトロな雰囲気を醸し出しているが、シャッターが下りていたり廃屋と化しているものはなく、道幅も十分すれ違えるうえにキレイにタイルが敷き詰められている。神奈川県の茅ヶ崎のあたりにもこんな町はあるかもしれない。


港付近に戻り、「あめのひ食堂」が空いていたので入ることにする。中はカウンターと座敷があり、ちょうど自分が入ったところで満員となった。基本的には居酒屋で、ランチもやっている。島の飲食店はそういうところが多い。


メニューのイラストがかわいい。自分は「島魚のづけ丼」を頼んだ。もっとも定番なやつかな、と思ったがどうも「島パパイヤキーマカレー」を頼んでいる人が結構多い。そしてカレーの量も多い。せっかく島に来たのだから新鮮な魚をとも思ったが、ある意味そういうのは後でいくらでも食えるので、変わり種のそっちを狙っても良かったかもしれない。でもそれはそれとしてづけ丼は美味かった。なんの魚かはちょっと分からなかった。付け合せのかつおたくあんが良かった。


今日参加するツアーは、港から徒歩5分くらいにあるビジターセンターで待ち合わせ。今回お願いする「マルベリー」さんは夫婦でツアーガイドを営まれている。あくまで陸域専門で、島でよくある海に関するガイドやアクティビティは専門外。ただしそのぶん植物や戦跡については詳しいというのが気に入り、お願いすることにした。(あと、おがまるパックに500円引きクーポンがついていた。)今回は半日の戦跡ガイドということで、車で色々と連れ回してもらう。

まずは島の中央部にある夜明山に向かう。車を止めたら、そこからは徒歩で獣道を通り、草木をかき分けて進む。山の中にはガイド同伴でなくては入れず、そもそも山道はどの地図にも載っていない。山を熟知していない人が単体で歩くのはかなり危険が伴うということは体感したので、そこは気をつけてもらいたい。ちなみに獣道と先述したが、戦時中は車両が出入りするような道だったらしく、たしかに言われてみればギリギリそれくらいの幅はあるような平地が山の中に存在する。とはいえ月日は流れ、草木は生い茂り、なんならど真ん中に木が生えているところもあったので、言われなければ気づかなかっただろう。


さっそく洞窟に朽ちた大砲があった。こちらの洞窟は当時の陸軍が突貫工事で掘り進め、そこを居住スペース兼砲台にしたところ。砲台は分解して運び組み立てられるらしいが、とはいえかなりの重量はあるはずなので、たしかに車両なしではここに基地を構えることは難しいだろう。
貯水槽も放置されており、当時の軍の生活がうかがえる。
父島は1944年に戦況の激化にともなって島民全員が本土へ強制疎開となり、敗戦後は沖縄と同様に米国の占領下に置かれ、1968年に日本に返還された。現在、大砲を始め多くの戦跡を見ることができるが、敗戦後に多くの兵器は使用できないように破壊され、その後は山奥とうこともあり放置。貴重な資料だからとわざわざ保存されているわけでもないのだ。父島は"放置された島"という物悲しい側面も持っている。





夜明山には陸軍高射砲隊が設置され、のちに海軍の通信部や砲台も移ってきたという。海から見れば分からないが、山には何箇所も削岩機やダイナマイトの突貫工事で作った壕があり、その奥には砲台が残っている。ピーク時には父島には15000人の軍人がいたという。ただ、渡辺謙主演でおなじみ『硫黄島からの手紙』でも有名な硫黄島のように、地上での戦闘があったわけではない。そういえば、名前だけはよく聞く硫黄島が小笠原諸島に属しているというのも今回はじめて知った。せっかくなので是非GoogleMapなどで探してみてほしい。





回転式の砲台。ここから敵の戦闘機や戦艦を狙った。ほとんどは戦闘機だったらしいが。父島は空襲もかなり受けている。こちらの砲台はかなりきれいな状態で残っているが、中央にあったはずの大砲は跡形もなく消えている。

海軍御用達、大日本麦酒株式会社の瓶ビールの残骸。のちのアサヒ、サッポロとなる。意外にも戦時中は兵士たちの士気を保つためにかなりの量のビールが生産され、軍需として出回っていたようである。もちろん市井には流通しないが。
ネコトラップ。誰かがペットとして本土から連れてきたネコが野生化してしまい、貴重な生態系を破壊してしまうということで山中に罠が仕掛けられている。捕まえたネコはぶっ殺してしまうかと言えばそんなことはなく、本土に送られ里親に預けられることになる。



山の頂上まで出ると、島の中央部西側の境浦がよく見える。ここには波打ち際から数十メートルの位置に物資輸送船の『濱江丸(ひんこうまる)』が座礁しているのがよく見える。もちろん、浜まで出ればもっと間近に見ることができるし、シュノーケリングでもっと近づいて細部まで見ることができる。今回はそこまではいかなかった。


バッテリーに飯盒。様々なものが洞窟内に放置されたままになっている。洞窟内は結構広く、ものによってその大きさも深さも異なるが、だいたい200人くらいは入れたのではないかとのこと。父島はまるっきり南国だが洞窟の中は結構涼しい。が、兵隊が200人もいれば暑苦しいことこの上なかっただろう。


こちらは二階建ての巨大な発電所。中の機械はすっかりなくなっているが建物の重厚な作りには圧倒される。



崖にヤギがいた。柄がどう見ても牛っぽいが。こちらも家畜として連れてきたものが野生化したものだ。こちらも500頭くらいまで増え、いろいろと食い荒らしてしまうので、駆除が進んでいる。ちなみに本来小笠原にいる哺乳類はオガサワラオオコウモリだけらしい。そこに人間が追加され、ネコとヤギも追加された。あとネズミが路上で死んでいるのも見た。でもそれくらいか?
本土の田舎とは違って、山の中で鹿や猪、熊に出会うことがないというのはちょっと安心感があるかもしれない。一人で富良野の山をレンタルサイクルで走り回ったときはちょっと怖かったからな…。




こちらは米軍の爆撃機、ヘルダイバー。名前がかっこいい。撃墜されたものが崖際のギリギリに墜落してきたものらしい。素人目に見ても明らかに戦闘機だということがわかるくらい、翼、プロペラ、車輪などが原型を残している。
これでツアーは終わり。ガイドの吉井さんは戦跡、中でも大砲に詳しく、非常に詳細に説明が聞けて面白かった。帰り際に出航していくおがさわら丸が見えるポイントに連れて行ってもらった。これもスケジュールに織り込み済みなんだろうか。いいものが見れた。次に船が来るのは5日後か。。。

今回は滞在期間いっぱいレンタカーを借りることにした。借りたのは小笠原整備工場。八丈島でもそうだったが、島で車を借りようと検索するとたいてい整備工場がヒットする。最初は驚いたが島ではよくあることのようである。整備工場は大村から少し離れた山の中腹にあるので、少し行きづらい。なので、基本的には送迎がついている。ちなみに今回はマルベリーさんに整備工場まで送ってもらった。ありがたい!繰り返しになるが、島は交通機関が発達していないので、ツアーやら宿やらレンタカー会社やら、とにかく送迎してもらうというサービスが結構な確率でついてくる。なんでも頼んでみるのがいい。
そして父島の中心地である大村エリアから車を走らせること10数分、今回の宿、ゲストハウスロックウェルズに到着。車を借りた場合、宿にも駐車スペースがあるかどうかを確認することを忘れずに。



部屋は小綺麗で、窓を開けるとすぐ海が見える。ビーチまでは徒歩20秒だ。更にゲストハウスなのに部屋にテレビも冷蔵庫もついている。父島は長期滞在が基本なので、共用の洗濯機や乾燥機があり、部屋にも外にも物干しがある。洗濯機や乾燥機は1回いくらで使えて、壁のホワイトボードに名前と使用回数を書き、帰り際に精算するシステム。風呂も共同なのでかわりばんこだ。


宿の向かいには「ホテルビーチコマ」がある。ここ扇浦地区は大村地区とは違い、商店などはほとんどない。かわりにビーチコマには多種多様な自動販売機が24時間稼働しており、急に飲料や食料を調達したいと思ったらここを頼るといい。



宿の晩ごはん。ゲストハウスなので他の宿泊客と一緒にいただく。他には親子連れが二組。それぞれ個室があるので快適に過ごすことができる。


夕食後は宿のすぐ裏手のビーチを散歩。遥か遠くには繁華街である大村地区の灯りが見える。このあたりは非常に静かで、車もほとんど通らないし商店や飲食店もないので、波音だけが心地よく聞こえてくる。
父島は至るところでウミガメの産卵を見ることができるが、なんとこの宿のすぐ裏手のビーチでも見ることができるとオーナーは言う。早くて午後の9時くらいから陸に上がり、何時間かかけて、穴を掘り卵を産むらしいのだ。とは言ってもだいたい深夜帯に活動するのが主らしいので、1時間おきくらいに見に行くと結構な確率で会えるらしい。
などと言っていたら午後11時頃、本当にウミガメを見ることができた!ウミガメの産卵を見るときは①声をたてない、②正面に立たない、そして何より③光を当てないという約束事があるので、写真には撮ることができなかった。そうするとウミガメが驚いて産卵をやめ海に戻ってしまうのだという。
砂浜に真新しいキャタピラの跡のようなものが横切っていれば、それはウミガメが這った証拠なので、まずはキャタピラを探すということだった。するとキャタピラを見つけるのと同時に「ザッ…ザッ…」という音が聞こえてきた。
目を凝らすと、暗闇の中に砂を掘っている大きなウミガメを見つけることができた。これがテレビでしか見たことがないあの…と、しばらく時間も忘れて必死に産卵の準備をするウミガメを見つめていた。ただウミガメの産卵はここからが長いらしいので、今日はこれを見れただけでも良しとして、産卵本番の見学は明日以降のチャンスに委ねることにした。(そしてこれ以降、野生のウミガメを見つけることはできなかった…)

しかしこれだけでは終わらない。宿への帰り道に、今度はなんとウミガメの赤ちゃんを発見した。これはおそらく孵化しばかりなので、先程の個体とは無関係だろう。このウミガメはカニに連れ去られていたところを、自分と一緒の宿だった子どもに救出され、海に戻っていく瞬間を撮ったものだ。自然の厳しさを感じるぜ…。

明日は一日中予定もないので、車で島を一周することにする。

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